最近視覚情報を頻繁に脳が諧謔しているらしいという(ソースは脳)

脳が明らかに、且つ急激に劣化している。いまのところ実害は無いが、このままでは、時間の問題かもしれない。
自分の脳が劣化しているその可能性を明示的に自分の脳でもって気付くというのはなかなかキッツイことではある。

なんつぅか、おろちょんの中の人はこっち方面強いなあ、とかいうのが私の正直な感想。

Twitter 上でも強いなぁ、というべきか。でも、というよりは、でなおさら、と言ったほうがいいのかもしれない。

そういえばなあぁんとなく、もやもやっと程度であるが、思い出した。いつごろだったかとかは(時系列記憶に滅法弱いということもあり)まったく思い出せない状態だが、「すき家に鞍替えかよ!一筋じゃなかったのかよ!」とか当時思ったような気もした。調べればそのとき書いた文章が出てくるかもしれない。(かったるいのでとりあえずやるつもりはないけど。) 私自身はキン肉マンに何らかの情念を注いだ経験が無いし、無かったし、今後もその見込みが無いと思われるので、ものすごくどうでもいいとか思った気もする。
だが、企業を救ったとかそういうような話があるならば、ちょっと事情が違うかもしれないな、とかいうようなことならば、今回ちらっと感じたりした。「最初の最初から一筋でもなんでもなかった」というのも、事実だとするならば(マンガの時点では当初「なか卯」だったというのはどうやらガチらしい)、というか、当事者に相当する人がそれを真実と認識しているならば、それは軽く猫耳だ。
じゃなかった、軽く目から鱗だ。(どう間違うとそうなる)


さて
当然というべきなのか、「人の意見の断片を引用して誘導し、いち企業を Disるのは酷い」とか「ああもう吉野家が嫌いになったちょっとすき家いってくる」とか、要は同じものを見てもそれぞれがそれぞれにそれぞれの反応を示しているようだが、私はこれを読む前 既に吉野家はもう口にするまいと心に誓っている、で、牛丼食べるならすき家、とか思っているクチなので、誘導とか強化とかこれ以上特にされたりしない。考えを(悔い)改めたりとかもしないし、反駁もしない。
でも吉野家食べないと誓ったその原因/理由についてはすっかり忘れていて個人的にちょっと愕然としている(今ここ)。 なんだっけなんだっけ。

続報的な何か


ところで GoogleIME、「とかおもっている」という入力に対してどんな理由にせよ「とかお漏っている」という変換を第一候補として出すのは、3回ぐらい背中に背負ったランドセル爆発の刑(後頭部周辺が黒コゲの刑)にされても異存はない、ということだな。なにか言ってみろ。
あともうほんと「という」を 30回ぐらいひたすら「問う」でレコメンドしてくるの、なんなんです。文字通り、真に文字通りの「学習しない奴」。斧で叩き割るぞ(何をだ、そしてどうやってだ)。

自分で立てた誓いを破るから、そういうめに遭う>自分

ひとことで言えば「何様のつもり」ってことなんだけども、要は「Twitter 上で議論・反論はしない(できるだけ)」という禁則事項をほいほい破るから、結局後味の悪い思いをするのは自分だ、という因果応報理論。根拠とかそういうのは一切無い精神論的な何か。
ああ、耳が痒い。


もう諸々どうでもいい。