表現者として

自らの身体的能力の特性と限界を知ることは重要なことであるが、それは同時に際限なくつまらないことでもある。
ちょっとばかり、枷を背負いすぎた私には、もう表現者を気取るだけの余力はなさげに感じられる。
必要に応じて開く仕掛けの扉を、開かずの扉にするのは、何の造作もないことのようだ。