1枚 1枚に、1匹 1匹に、物語がある。そういうふうに思えばいい。

どっちにしろ、語りはうざい。うざいから要らない。そういう自覚はある。
因みに、ネコ口調でコメントをつけるのも、相当にうざい。そうせずば間が持たないのだろう、そういう理解はある。

ともかく、こうして 1枚ぺろっと貼っただけならば何の変哲もない 1枚のネコ写真でおしまいなのだが、この子がこうしてひなたぼっこしている 20m 脇に、毛皮と白骨だけになった子ネコの屍骸があったことを付け足せば、俄かにその様相は変化してくる。
食べたか、食べなかったか、で言えば、彼もその一部を口にしたことであろう。それが自然だ。
彼自身もいつ駆逐されるか、いつ野垂れるか、この人間は自分を駆りに来たのか、愛でに来たのか、施しに来たのか、ならばここは動くべきか、逃げるべきか、ギリギリの選択肢の狭間で、フェンス越しに酔狂な人間と対峙している。これはそんな構図である。
屍骸の写真は流石に撮らなかった。でも、撮っておくべきだったと反省している。それは、ここに載せたり、誰かに見せたりするためではなく、記録として残すべきだったと、戻ってきた今は思っている。ただし、もういちど同じ場所に立って、変わらずそれがそこにあったとして、レンズを向ける気になるかどうかは、実際にそこに立ってみないとわからない。


やはり、うざいものはどうあってもうざい。