夢にも癖がある。というか、夢にこそ(だからこそ)癖がある。

覚えてたら書く。というか、もうどんどん忘れていっているから、今想定している内容もすぐに忘れてしまうだろう。まさに、儚い。

でもって、圧倒的に面倒臭くなってきたので、かいつまんで。

私がみる夢のパターンとして近年多いのが、夢の中で進行しているストーリーがいつの間にか漫画や小説、映画になっていて、私はそれを読むなり観賞するなりしている、というもの。(すっとばして書くと)どうも、自分でみている夢の内容について「ありえない」と自分の中のどこかで気付くらしく、その瞬間に精神的整合性を保つべく「これは漫画(あるいは映画の類い)なんだ」というスリカエを行うようなのだ。
また、あるいは、自分のみている夢のその進行状況について自分で解説を入れることも多く、現実の状況に自分で解説を入れるという不条理を解消するために、本編のほうが漫画(とか映画とか)であったということにしてしまったりしているのかもしれない、というふうにも考えられる。
今朝方みていた夢のその内容はもうすっかり忘れてしまったが、アラームで目が覚めたそのとき、私は、「うわこれ夢だったか…くっそ続き見ていたいなぁ」と(一瞬だが)はっきり「夢の中で」思っていた。(つまりこの階層から実際に目が覚めるまで数段のプロセスを踏む)
自分の精神構造の無駄な複雑さに、我ながら呆れる。そして疲れる。複雑すぎて自分でも到底理解できない。