なにか悪いことしたか私

罰ゲームなら罰ゲームでもいいけど、普通に地味すぎるし、しんどすぎ。削りすぎ。パズル好きにはある種のリアルなパラダイス(桃源郷はここにあったのか世界)かもしれないが、普通は楽しめません。
と書いて暫く経って、私はパズル好きじゃないのか? と我に返った。そうだ。頭おかしいんじゃないかと思うほどパズル好き(しかも普通に解くのが嫌い)だ。つまりこうだ、嫌だ嫌だと言っておきながら、実はめちゃくちゃ楽しんでいる部分が私の中に確実にある。どう考えても普通じゃないから。それをうすうす自覚しているというパラドックス構造が一番の苛立ちの原因なのかもしれないってそんなの正直ほんとどうでもいいな。苛立ちのあまり薄ら笑いになっちゃうくらいどうでもいいな。おまえが解くべきパズルは、なんだその、所謂呪縛的な何かということか。パズルを「べき論」で片そうとしているあたりでもう既に行き詰ってないか。隘路か。天王洲隘路か。


悪いことしたか、に関して言えば
ちいさなおいたなら数え切れないほどしてきましたが何か。

「どうでもいい」のどうでもよさを更に上ゆくどうでもよさでカウンタ相殺(になってない)

「苛立ち」と打とうとして「いらだちょ」になっていたので打ち直したら「いらでゃち」になる自分に、苛立ちを遥か彼方に通り超えて地平線の向こう側で静かに液状化した。
この脱力感は、一見ふわふわに見えて実際のところはぶよぶよで腰が無いだけ、しかもところどころ硬いなにかがものすごく引っかかる、史上最低のやわらかさといった感。
しかもいまこの入力を再現するためにものすごい頭を捻った。どういうことだ。何故そうなったのか説明のつけようが無い。自分ミステリー。


相殺するつもりが、どうでもよさを山積みにするだけだった。私が作りたいのはなんだ。どうでもいい山脈か。登山して「どーーーでもいぃーーーよーーーよーよーよー」とかやりたいのか。