ハウルとか観たり観なかったり

観たんですけどね。


地上波で 2度目(そしてたぶん地上アナログで観るのは最後;ってあと 1年かぁ…どうすっかな)なのだが、今回は倍賞美津子やはり無理あるだろ、ばかりが気になって集中できなかった。というか集中して観てもないくせによく言うよね。
文字文学とか、マンガとか、要は総合芸術的なものではない、再現するものを制限することによって生まれる想像力の世界って大事だなぁ、とか、改めて(というか、今更)思った。ソフィの顔とか、それが 90歳になったときの顔とか、そして勿論その声とか、アニメにしちゃうと全部与えられてしまうわけで、それはいいことなのか、悪いことなのか、よくわからない。ラノベですら手軽に利用されている「叙述トリック」なんていう初歩的な手法が漫画やアニメでは使えない。「与えられること」に慣れすぎるのも、大概にしておかないと、というふうなことを、ふと思った。


…とか言いつつ私は病的とも言える先天的欠陥によって読書が苦手だし、嫌いだ。だから、ストレスなく楽しめるメディアとして映画とか舞台とかそういうのは好きであっていいはず…なのだけども、生憎そのへんは実に矛盾している。


キムタクとかは正味な話、どうでもいい。男の声とかよほど美声でなければあとはおんなじだ。どうでもいい。