行くよ。無意味と知っても

別に私が行ってもしょうがないしむしろ気分を悪くする人がいるような気がする、というか、確実にいる、いや、少なく見積もって半分以上がそうだ、そして残りの半分は「誰それ?」状態だろう。「おまえが今ここにいてどうする、おまえは何をしたくてここにいる」「目的はなんだ」「ほんとは呼びたくなかったんだよね…」「あいつ来てんの?じゃ、俺、くるんじゃなかったなぁ」という目線が想像されてつらい。
自分は必要な人間であるなどという妄想はとっくの昔に壊れた。そんなものを見せかけで構築しても虚しいだけだ。
おまえが動く意味など、あるのか。…ない。
じっとしていたい。
ほっとかれたい。
逃げたい。


逃げたい。


でも、気持ちを伝えるため、この重い身体を引きずらなくてはならない。要る要らないでなく、むかつくかむかつかないかでもなく、今でも私のことを「仲間」としてみなしてくれる人がいる限り、私は、行くよ。


…というわけで出掛けてきます。それが「お別れ」なのかどうかは、よくわからないけども。確かに、生身で会うのは、今シーズンがひょっとすると最後かもしれないわけであるし。




というようなことを昔からいつも考えている。最近、特に酷い。行動できないことのいいわけに過ぎないのかもしれない。何もできていないことに対するつまらぬ逃げ口上なのかもしれない。それでも、今、私がこんなことを思っているなんて思いもよらない人もまあ、いるのかもしれないから、書いておくのも全く無意味ではないのかもしれない。


あとで消す、かもしれない。