重要性という価値判断基準におけるアンビヴァレンス

日記に書くようなことなんて、一度忘れてしまったら永劫思い出せるはずもないのである。


よく、「人間、重要でないことは忘れるようにできている」なんてことを言う。ここから演繹して「忘れてしまったことは、そのときのその人にとってはさして重要でないことだ、といえる」なんてことも言う。だから、忘れたことにいつまでもくよくよと囚われるなと。重要なことだったら、そのうちまた思い出すだろうと。
しかしながら、日記に書くようなネタというのは、そのときのその人にとってもさして重要でないことがほとんどである。とりとめのないよしなしごとを、何の為、などといわず、書き留めるのが、日記。であるからして、日中「あ、今日の日記にはこれ書くか」と思いついたネタは、夜、PC の前に向かわんとする頃には、ほぼ間違いなく忘れ去られているのである。…ただその「何か書こうと思った」という思索の輪郭だけ残して。往々にして、その輪郭だけは妙にくっきり残して。


そんな次第で、今日もまた絶望的な心もちで PC の前に向かっている自分がいる。そして、代償として、こんなメタ文章を書いて気持ちを取り戻そうとしている自分がいる。(記憶を取り戻すことに関しては、もうほとんど諦めている。)