オレオレ歌手

先に言っておくと、どっちがいいとかそういう話ではない。


歌手が歌を歌っている。たとえば、大塚愛が「あなたとあたしさくらんぼ」と歌っていたときの「あたし」は誰かというと、これは大塚愛(本人)だ。(「あなた」が誰かというような話は、ここでは一切どうでもいい。「俺!俺!」「なんだ俺か」とか、そういうふうに言っていたい人はそういうふうに言っていればいいと思うけど、今回は特に関係ない。)「私、待つわ」の「私」は、いかにも岡村孝子が待ってそうじゃないか。「るらら宇宙の風に乗る」のは草野マサムネ本人だし、「あんたにかまってる暇ないよ」うな多忙っぷりで「僕は行くよ 感動しながら生きて行きたい」のは北川悠仁だろう。
飽くまでイメージの話。ついでに言うと「イメージが大切」で「殺しのライセンスを道で拾っ」て、「僕が言ってやる 頑張れって言って」くれる僕は甲本ヒロトだ。
でも、
「ママはここの女王様 生き写しのようなあたし」は椎名林檎、かというと、これが微妙に違う。微かに違う。(大事なことなので二度言いました。)椎名林檎は「果たされないものなど大嫌いなの」かというと、微妙にそうでもないという気がする。「少し気が多い私」は吉田美和ではない誰か別の女の子だ。「一人 涙を浮かべて」歩くのはサンプラザ中野くんではないし(パッパラー河合でもないし)「走る走る俺達」はサンプラザ中野くんとその仲間たちではない。「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」、そんな僕は中島みゆきではない。
中島みゆきについてもう少し言うと、「一晩中泣いて泣いて泣いて別れたのに「おまえも早く誰かを探せよ」と」言われたのは工藤静香であって中島みゆきではないし、「あのひとは あのひとは おまえに似合わない」のは研ナオコであって中島みゆきではない。
飽くまで私の中のイメージの話。
だからなんだ、というと、
歌い手には 2種類いるなぁ、ということ。声質の問題なのかな。曲の内容やテーマであるとか、シンガーソングライターであるか否か、グループか否か、そういうのは一切関係が無い。勿論、「神戸じゃ渚と名乗っていたの」は小林旭であろうはずもないし「伊予はまだ 16 だから」って名乗っちゃってんじゃん!みたいなケースもあるので、そういう具合に場合分けしても意味の無い曲もあるけど、普通に、楽曲の主人公が歌い手の場合とそうでない場合があるよな、というような話。あるいは、曲の心象風景(「俺様脳内 PV」みたいなもの)に歌手が登場する場合(「出演:本人」的な)と、そうでない場合があるよね、という按配の話。


んー、それでもやっぱり、曲によるのだろうか。曲と歌い手の組み合わせなのか。「歩道橋の上から見かけた革ジャンに息切らせ駆け寄った」のは渡瀬マキのようでもあり、「何度も何度もあなたの名前叫んだ」のは高校生ぐらいの女の子であって渡瀬マキでは無いような。でも、テーマの普遍性とか共感度みたいなパラメータによってそれが決まるようではないみたいだし、なんなんだろ。
とりあえず、オレオレか、そうでないかは、アーティストに貼り付く属性ではないようだ。そういうのばっかり好んで歌う人とか、その逆とか、はあるかもしれない。勿論、聴く側のコンテクストによっても「どっちか」は全然変わる。たとえば、現時点における私の中では「なんでだろ あなたを選んだ私」は涼宮ではなくて平野なわけだが、以前はそうではなかったはずだし今後ともこのままということはなさげ。「急な坂道駆け登った」のは山口百恵のような、違う人物のような。


私自身は、合唱をやっていた関係上、歌に「個々人」…というか「私」が乗ることがあまり嬉しくない時期があった。今は自分で歌っていないので、なんというかまあ、どっちでもいいような気がしてきている。…という具合に、油断すると「自分語り」がしゅるるっと入ってくる時点でナニカがアウトな気がしなくもない。


あとはこれを読んで頭の中に音楽が鳴った人負け、みたいな、ね。
言うまでもなく書いている本人は鳴りっ放しです。
それと、懐かしい曲ばっかで最近の曲がいっこも入ってきていないとかそういう件に関してはさらっと気持ちよーく放置しておいてください。