疫学とか地政学とか全く素人の私がインフルエンザについて考えてみたので書いてみるよ


本論との関係性は実際薄いが、こんな TVCM もいま流されている、ということで、見かけたから掲載しておいてみる。因みに画像をクリックしても何も出ません。


さて。
みんな薄々感付いているとは思うが、インフルエンザでは人類は滅亡しない。というか、ウィルス性疾患では人類は絶滅しない。それは、よく言われるように「ウィルスが宿主を滅ぼすことはない、だってウィルスも滅亡しちゃうじゃないですかぁ」というような希望的観測的楽観論に基づくものではない。残念ながら、宿主を人類に限定しなければ、ウィルスが宿主とともに滅ぶことはありうる。何故そう言えるか。確かに宿主の、個体群としての生命力が低下すればウィルスの活動も低迷するから結果的に宿主を滅ぼさないという考え方もあるだろうが、その活性度の変化パターンと速度の組み合わせによっては、ウィルスの活性度低下が間に合わないという事態だって充分に起こりうる。また、別にウィルスが滅ぼさなくても、ほかの理由で宿主が絶滅すればウィルスも自動的に命運を共にする、ウィルスとはそういう存在である。そこは、ほかの細胞に寄生しなければ生きてゆけないライフスタイルを持つウィルスが頑張って、考えて、戦略を練って、どうにかなる問題ではない。従って、ウィルスが宿主を生かすべく配慮するということもありえない。そんな宗教倫理みたいなものがウィルスに備わっていると考えるのがむしろ不自然。
ウィルス自体が滅亡しうる存在である以上、その滅亡の方法を自らコントロールできるとも、しているとも、思えない。
考える力を持っている人間ですら、地球の生態環境を滅ぼしかねないわけで、つまり、地球を宿主、人類をウィルスと置き換えるとわかりやすいかもしれない。
ならば、人類は何故ウィルスによって滅亡しないのか。それは、人類という種の生息形態の異常な多様さによる。生息場所にしろ、生活環境にしろ、生活スタイルにしろ、人類はあまりに多様である。この多様さがある限り、ヒトウィルスに感染率 100%、発症率 100%、致死率 100% の株は出現しない。というかそもそも、全て 100% のウィルスなど、よほどバイオテクノロジーでも悪用しない限り、誕生しないはずだ。完全無欠な生命体が存在し得ない以上、完全無欠なウィルスも存在し得ない。
だから今回の「新型インフルエンザ Ver.2009」でも、人類が滅亡することはない。
じゃあ、滅亡しなきゃいいか、ばんばんざいか、って話。
断言なんかしなくてもいい、人類は滅亡しない「かもしれない」レベルの話でもいい。にしても、人類が半分になったり、1/3 になったりする可能性はある。「弱毒性だっていうからそもそもそんな心配はないんじゃないの?」という向きもあるかもしれないが、明日、突然変異体が誕生しないとは限らない。いまのウィルスの危険度が高くないからといって油断はならない。それは、ウィルスが蔓延すればするほど、そのぶんだけ高確率となる。
人類が絶滅はしなくても、世界人口が半分になったとき、自分が「生き残るほうの半分」に入れるかどうか、それは判らない。個人レベルで見たとき、それはとんでもないロシアンルーレットだ。引け、と言われても、やはりそれは困る。
また、人類という種の存続は、今回のウィルス禍によっても損なわれることはないだろうが、仮に現在の人類の半分が死滅したとしたら、現在の世界の政治経済の枠組みは根底からの見直しを余儀なくされるだろう。とりあえず、いまの体制では何もかもが立ち行かない。これを機に、あらゆる分野におけるシステム再構築が(否応なく)図られることだろう。それにより、結果的には人類にとってよい方向に事が運ぶかもしれない。現在日本で大流行の eco 的な視点で言えば、人口の減少自体は 100% 間違いなく「ちきゅうにやさしい」。しかしながらその再構築プロセスは少なからぬ痛みを伴うし、場合によってはウィルスで死んだほうがましだったというような生き地獄を垣間見る羽目に遭うかもしれない。政情不安が同時多発的に発生し、戦争や内乱が多発する可能性もある。いくらエコでも、やはりそれは困る。
人類滅亡が怖いのではない。今の生活を手放すのが怖いのだ。
もし、自分(とその家族)だけが生き残ればよいのならば、ひたすら防御に徹すればよい。感染をしないような生活スタイルに移行すればよいし、感染しても発病しないような、健康で強靭な生命力を身につければよい。なんだったら、コミュニティごと隔離すれば、今回のインフルエンザウィルスから生活圏丸ごと守ることだってできるだろう。むしろそういう宗教団体とかがいまだに現れないのが不思議なくらいだ。けったいな敵対思想とか抱えてたりする割には楽観的なものだ。(報道されていないだけかもしれないけど。)だが、パンデミックの本質的な問題はそこにあるわけではない。自分が野蛮な風邪で死ななければいいだけの話ならば、もっと簡単なのだ。
幸いにして、「へんな風邪ひいてつらい思いをしたくない」という個体レベルの要求と、「へんな風邪で世界の政治経済の混乱を招きたくない」という WHO レベルの要求は、方向性の面で合致する。こういうふうにウィルスが広まりを見せているということが判っている以上、ひとりひとりがそれを更に広げることのないよう、できる配慮を充分に続ける、それしかない。
ただし、この際だからその「へんな風邪」に罹患しておいて、抗体を獲得しておく、という、そういう考え方は、あるかもしれない。でもそういうこと言ってると、あんた、死ぬわよ。