泡立ちと家族

昔、幼少のみぎり、浴用石鹸といえば花王のホワイトと決まっていた。(飽くまでうちでは、の話だが。)定番中の定番。別段性能がいいとか悪いとかそういうことも無く、ごく普通の石鹸たる石鹸である。ものすごい高性能とかそういうこともない。
もう、自分の身体は自分で洗うようになり、入浴もひとりずつする機会が多くなっていた、そんな頃、私が軽く悩んでいたのが、どうも石鹸の泡立ちが悪い、ということである。
まずは当然想定される原因として「1回に消費する石鹸の量が不足しているのでは?」ということだった。試しに、あかすりタオルにこれでもかと石鹸をこすり付けて洗ってみる。泡立ちは改善しない。
汚れが多いときにはあまり泡立たない、ということは、既に知っていた。じゃあ、俺、よっぽど汚いってことか。しかし、試しに「二度洗い」してみても、二度目が劇的に泡立つというほどでもない。シャンプーではその違いを若干体感することはできたが、石鹸のほうでは「汚いから泡立たない」をその結論にすることはできないとわかった。
使用する水の水質や温度によっても泡立ちが違うのではないか、という仮説も立ててみた。使う湯がぬるい? いや、それは無い。実際、水を使用してみてもそれほど変わらない。水が「硬い」? 確かにそれは否定できない。が、それが決定的な理由でないことは容易に知れた。
私以外の、母親や、兄が同じ石鹸を使うと、実に見事に泡立つのである。
なんなんだ、これは。
稀となりつつあった一緒に入浴する機会を使って、私は母親に訊いてみることにした。ごくありふれた日常の行動の中の話だけに、スパーンと秘訣とか、裏技小技的なものが返ってこない可能性も充分にある。「なに?普通にやれば、普通に泡立つでしょ」ぐらいに言われて終わりかもしれない。そういう意味であんまり大した期待もせず、「石鹸で泡がよく立つようにするには、なんかコツある?」と訊いてみた。
母親は一瞬手を止め、少し考えて、「先によく泡立てることかな。」と答えた。ふーん。
別の日に、これまた一緒に入浴する機会も稀となった兄に、私は同じ質問をしてみた。
兄は一瞬手を止め、少し考えて、「お湯を多めに使うことかな。」と答えた。ふーん。


あとで実践してみると、この 2つのことが、実に理にかなっていることがわかった。石鹸はこすり付けるだけでは駄目で、しかる後によーく泡立ててから、その泡でもって洗うべきものなのだ。そして、水(お湯)が少ないと、泡立ちも期待できない。石鹸だけでは泡にならない、石鹸水の状態になって初めて泡が出るのであった。石鹸が流れてしまうギリギリぐらいまで水を使ってやると、比率的によろしくなる。

おかげで私は有益なバスタイムを過ごすことが可能となった。


私は、母親のことが嫌いである。兄とも、感情にしこりを残し相容れないまま今日に至る。でも、尊敬はしている。ポイントは、私のように、薀蓄として仕込んでいた「知ってることだけ」を話すのではない、訊かれたことに対して、考え、記憶を整理して、出力する、その頭脳のキレ。間違いなく上質。血縁なんていうくだらない縛りを除けば、…でもそれが除けないのが世の中。人の思考。


今では専らボディソープを使用するようになり、昔ほど泡立ちに苦労する必要も無くなったわけだが、石鹸をとってからまず泡立てる、泡立ててから使う、という基本は、さほど変わらない。そして勿論、石鹸だけでは泡が立たない、水と混ぜてはじめて泡ができる、という基本も、さほど変わりはしない。