所謂、下種の勘繰り

中野区の「桃園町」という地名になにかいわくありげな由来があるのではないかと思ったのだが、さくっと検索してみたら、「なかのひと(中野人)」というかたが書いていた


        桃園町(現・中野3丁目)の由来

享保年間 八代将軍 吉宗の御立場(休憩所)となり 周囲に紅白の

桃を植え、「桃園(とうえん)」と称した。

元文(1736年)の頃には、周辺の67,000坪にも及ぶ土地に緋桃を

植え、春は紅白枝を競いその艶景は目を奪うばかりだったとか。

昭和7年中野区桃園町とはじめて町名になり、同41年、中野3丁目

となって現在に至っている。
だそうだ。本当に桃園があっただけでした。


……。


本当かね、とか言い出すと、もうきりが無い。というか私は桃園町界隈に立ち入ったことすらない。「余計なお世話」とは、まさにこのことを措いてほかにあるまい。