ついでに、どこに書けばいいのかわからないので、ここに書いておくよ、「けいおん!×マキホル」について私の知っている範囲を。

今更ですけどね。


「キッパリ!」とかいうトンデモ本が、一時期結構売れた。腹立たしいので書きたくないのだが、話の流れ上致し方ない。この本は所謂「デジタル万引」を奨励しているという、自分の立場というものを全くわきまえていない、アタマ沸いちゃってるとしか思えない愚かしい腐れ〇〇○の書いたエッセイである(らしい。詳しくは知らない、というか知りたくもない)。
何故売れたかというと、主に 2ちゃん界隈で「デジタル万引」の件がバズった。で、この何%だか、何割だか、実際の量は知らないが、ともかくある程度まとまった量のアクセスが各書籍販売サイトに PV のかたちで流れた。
この時点では、書籍サイトの側では、このネガティブアクセスなのかどうかはあまり重要なことではなく、ともかくドバっとまとまったアクセスがある、この事実が重要。で、「話題の本」にリストアップされた。事情を知らない人がサイトへアクセスした際に、ああ、話題なのか、と普通に思い、その何%かがポチってしまう。売れれば、「売れ筋の本」にリストされ、事情を知らない人が、ああ売れ筋なのか、と普通に思い…
嘘のような話だが、本当に数年前に起こった出来事である。


なんでそんな話か、というと。


MMD 化された「けいおん!」キャラのバンドがマキシマムザホルモン「恋のメガラバ」をコピー演奏した体の動画は、たまたまだが、私も観た。「話題になっていた」からである。確かに、出来はよかった。しかし、「話題になった」構図は、出来のよさ云々は補助要因に他ならなかった。(出来が悪ければ話題にならなかった可能性はあるが、それが主たるトリガではなかった、ということ。)
構図はこう。マキホルをただのデスメタルだと思って*1スルーしていたけいおん厨どもが、動画によって見せつけられたものに少なからず度肝を抜かれた。で、「それが恋と気付く手前」の如き屈折した興味関心の渦が同じニコ動に置かれていたマキホルのプロモーションビデオへと流れた。全体からすればその量は、最初は微々たるものだったろう。しかし、純粋なマキホルのフリークたちには訳のわからないキモオタが突如荒らしやってきた、としか映らなかった。謂わば、まさしく青天の霹靂というやつ。
オタの人たちは基本的に、音楽畑の人たちが自分の敬愛するアーティストを汚されたと感じたときに発する怒りについて理解していない。そして当然、自分たちが「してはいけないことをやった」という自覚など微塵も無い。だから、「倍返し」に心の底から面食らい、戦慄することになる。
決して相容れることのない両者が、動画を媒介として出会ってしまった。こうなると最早戦争(状態)は免れない。こうしてまたひとつ「炎上」が発生した。
炎上に伴うもの、それは多量のアクセスである。…つまり、そういうこと。
勿論これは最大限単純化した構図であるが、極論すれば「けいおん!×マキホル」動画が MMD杯で 2位にまで上り詰めるには、炎上という要素が不可欠であったと言っても過言ではない、ということだ。


以上、2つの件が共通して語ることは何か。
それは、ネットで「話題になる」ということが、必ずしもポジティブなものである必要はない、ということである。Disりだろうが祭りだろうが何だろうが、一旦アクセスさえ稼いでしまえば、それでいい。そのうち僅かな量であったにしても、世の中に「変な奴」はいるもので、一定量が必ず味方につく。最初はほんの 0.1% でもいい。この段階では量がものを言う。10万人が騒動に組すれば、100人の賛同者を無条件に得ることになる。そして、行き過ぎた論調は反感を買う。少し待つだけで、味方の比率は増える。
たとえば、ある商品を 1000個売りたいのだとしたら、どんな形でもいい、100万人がなんらかの形でその商品の名前を目にするようなイベントが巻き起こされればいい、99万9000人は最悪、敵になってしまったって構わない、という考え方だってあるわけだ。
これはもうひとつの側面から見ると、頑張ってネガティブキャンペーンを張っても、ネット上では「単なるアクセス」として十把一絡げにされ、片付けられてしまう可能性があるということだ。そして、僅かでもその「外側」にいる者は、「中」で何が起こっていたのか知ることもないままやり過ごすことになるのである。
ある人が本当に伝えたかったメッセージは「A という商品は買ってはいけない」だったとしても、話題になったばかりに逆効果、という事態もありうるわけ。
別に大騒ぎするほど特殊なことではないのかもしれない、だが、私には、それがいいこととは到底思えないのだ。単純なロジックによる、あるいは、わかりやすい基準(アクセス数など)による「評価」は、大いなる誤解を含んでいる可能性があり、且つ、その誤解っぷりをあとから(あるいは外から)検証(評価)する術を我々は往々にして持ち得ないということだ。
我々は、面白そうなものに出会うチャンスとチャネルを多く与えられている、それだけなのであって、それ以上ではない。油断すると、恥すらかく暇も与えられぬまま、ものすごい勢いで事象は流れ去る。


私にとってこんな歯痒いことはこの世の中に他にはそう無い…
のだが、世間的には、どうやらそうでもないらしい。よく、わかりません。


だんだん何を書いているかわからなくなってきたので、このへんにしておく。特定の人物に対する害意の無いことだけ、念の為、付記しておく。(ただし勿論「なんとかトメ」なる人物に関しては論外である。)

*1:アニメ版「デスノート」OP曲あたりしか聴いたたことがなければ、そういうことになると思われる。