いやーこの縛り思ってた以上に強力で、且つ、きっついわぁ。

「あの頃 Twitter があったらなぁ」とはあんまり思わないけれども(というか怖くて想像できないのかもしれない)、「あの事件・出来事の現場で Twitter が使えていたらばなぁ」とかはちょっと思ったりする。具体例はいっこも思いつかないけどな!

信長「本能寺なう」 ぼむったー「本能寺が爆発しました」 家康「あれから信長さん反応無いんだけど大丈夫なの」 明智「イマココ! L:京都市中京区本能寺」 家康「@明智 お前が犯人か」 ぼむったー「明智が爆発しました」 秀吉「むくり。信長さんなにばずってんの」 家康「@秀吉 おまw」
2010/03/26/12:28:55

http://twitter.com/mimizi/status/11070474139


…いや、そこまで歴史的に遡らなくてもいいんですけど。



…というような話も「Twitter 上でメタ言及禁止な!(できるだけ)」という「俺禁則事項」の許では、tweet できないのであった。いや、もちろん、別に破ったっていいし、実際しょっちゅう破ってるし、厳守したところで何の花が咲くわけでもないのだが、「(できるだけ)」のその機会を「もう少しましな話」(と自分が思える部分)のために(あるいは脊髄反射用に←ぉぃ)とってこうとか考え始めるとこれがまたそこそこ強力で。