Twitter 論を Twitter 上に書かないのは一見非合理に見えるけど、長く続ける秘訣のひとつと私は思っている。

Twitter はその人の「本性」的なものの深淵な部分を非常に素早く把握できる可能性のあるメディアなので、そのつもりで見ていると秒殺で人間不信におちいれるので注意が必要だ。


逆に「私ってばつい人の悪口とか陰口とか平気で言っちゃうけど、どうせこいつ俺のいないところでは俺の悪口も言ってるんちゃうか、とか、周り全員から思われてるのかしらん?」という、疑心暗鬼のデススパイラル、とか。


組織にガッツリ組み込まれた経験のない人はあんまり判らないかもしれないけど、みんながみんな嫌ってる人が組織の中(若しくは上)にひとりいると、その人の悪口を言うことで組織の結束力・団結力が高まるんだよね。これ無視できないんだよね。…って、昔いた会社の営業の人が言ってた。その会社では共通の敵が社長だったりしたんだけど。
所謂ワンマン会社が意外にうまく運営されていくのって結構そういう側面が往々にしてあったりしないだろうか。
その逆もあって、常に上から睨まれてるダメ社員(を演じてる人)とか部署があると、上の人間のくだらないいちゃもんエナジーがすべてそっちにドレインされるんで、他の(自分はまじめと思って仕事している普通の)人が助かるんだよね。


人が集まってるんだもの、誰もが持ってるダメな部分をうまく逃がす、または流出しないようにする機構は必ず必要になってくるんだよね。「硬い組織」にはそれが備わってる。ゆるい「チーム」とか「プロジェクト」なんかではそういう膿みが致死的に蓄積する前に解散→開放することで保たれる。
「陰口」なんていうのも現実にはそのシステムの一環。誰も正面きって認めたくはないけど。


そういうような「組織」を持たない人が、たとえば Twitter でそういうドロドロをドレインしているような現実があるのだとしたら、それはそれでいいのではないかと思う。ただ、
「非常に勿体無い!」
とは、端から見ていて思わないわけではない。



関係ないけどヒラコーの「歳月は人を変えない」は至言だなとか思ったり思わなかったり。両方の意味で、だけども。
「バカ発見リスト」の中に、気がつかないほどさりげなく「昔からネット上で非常に名高い馬鹿」を発見し、朝から不愉快な気分になったりならなかったり。糸田[+]土勺とか何t


(ひょっとして日記編集できなかったのは愛ナントカの呪い?)