論理性と思い込み、そしてそれらのギャップ

思い込み、というのは、非論理である。
「自分は論理的な人間である」という思い込みは、得てしてその非論理性で周囲を迷惑の渦に巻き込むが、「自分は非論理的な人間である」という思い込みがもたらす似非論理からなる非論理の渦よりは、遥かに迷惑が小規模であるといえる。
と書いておきながら自分でもわけがわからなくなった私は、前者だったか後者だったか、それともどちらでもない何かなのかは、ずいぶん昔に忘れてしまった。畜生め。